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スーツの歴史

スーツの歴史

ここでは、スーツの歴史を紐解いてみます。

スーツの登場

◆最初にスーツが登場したのは、19世紀のイギリスでした。

現代のスーツが確立されたのは、今から約150年前と言われています。ディナータイムに着用されていた燕尾服(えんびふく)が堅苦しい事から、ラウンジでくつろげるものが求められる声が多くなり、ラウンジスーツが登場しました。燕尾服とは男性の夜間用の正礼装のことで、背広の前丈が短く、背の裾は二つに割れてツバメの尾のように長くなっているものを指します。現在では、クラシック音楽のコンサートで指揮者が着る以外にはめったに見ることがありません。
スーツはビクトリア王朝時代に確立され、1920年代頃には現在のブリティッシュスタイルが確立されたと言われています。ブリティッシュスタイルは、イングリッシュ・ドレープとハッキングシルエットが基調となっています。イングリッシュ・ドレープは、狭い肩巾からゆったりした胸巾で演出されたバストドレープに、ウエスト位置を高めに持ってきたシェイプドルック。着丈は長めでフレアなため、ドレッシーなスタイルとなっています。また、シェイプハッキングとは、「普通(遠乗り)乗馬」という意味です。
ブリティッシュスタイルの特徴としては、角張った肩のシルエットに、胴が絞られた形でした。この胴絞りはウエスト・サプレッションと呼ばれます。さらに、上着の丈はヒップを隠すぐらいの長さがあって、バックスタイルには深めのサイドベンツを入れるのが一般的でした。しかし、本来のクラシックなスタイルは ノーベント(ベントを入れない)が正統とされていたので、1950年代以前のスーツはほとんどがノーベントでした。その後1960年代から浅めのサイドベントが流行り、1960年代後半から深めのサイドベントが多く見られるようになりました。

スーツの歴史

スーツの歴史は、意外と古いものではありません。伝統を残しつつ時代とともに改良され続けているスーツですが、これからどのように変化していくのでしょうか。

◆1890年代/フロック・コートの流れから、フロック・スーツが大流行しました。

当時の政界や財界では、フロック・コートかモーニングが主流でしたが、若いビジネスマンはスーツを着るようになりました。これが、フロック・コートの流れを汲んだフロック・スーツです。シングル4つボタンのものがほとんどで、衿が細くて小さいものでした。また、前ボタンはトップの1つだけを留めるか、4つ全てを留めるかのどちらかの着こなしが一般的だったと言われています。スラックスはスリムで、裾口はシングルのもの、ベストはシングルもダブルも好んで着用されていたようです。ダブルのスーツはボタンの位置が高く、衿開きが小さいものが特徴のスーツでした。ほとんどの人が、こちらに山高帽を被っていたようです。

◆1900年代/現在の形の幅タイが登場し、スーツ地の開発も進みます。

当時流行したのは、ブルー・サージのスーツです。さらなる軽快感が求められ、軽快なスーツ地の開発が進みました。これにより、以降のスーツ素材の傾向が決定付けられたと言っても過言ではありません。この当時のスーツは、短い背広丈にワイド・ラウンデッド・ショルダーの肩、極端に広い胸幅でセンターシームが多いものでした。スーツの色が、それまでのピンクやラベンダーからグレーとブルーへと変わってきたのもこの頃でした。さらに、ネクタイもボータイから幅タイへと変化していき、ビジネスシーンにも取り入れられるようになりました。

◆1910年代/本格的なスーツ時代へ。

この頃になると、それまのワイド・ラウンデッド・ショルダーに代わりナチュラル・ショルダーへと移行されていきます。この年代のスーツは、ラペルの幅が広くハイコージで、ウエストは極端に絞った形でした。スラックスは、全体をスリムにしたストレート型が基調でした。第一次大戦の影響で、カーキ色の厚手綿布やコーデュロイのコート、スラックスが流行しましたが、スーツのよりスリムでナチュラルなシルエットが求められた要因も、当時のアーミールックの影響によるものだと考えられています。

◆1920年代/スーツにスポーツ要素が取り入れられる。

アメリカが黄金時代を迎え、ファッションも激動した年代でした。アメリカのビジネスマンが影響力を持つようになり、ゴルフやテニスなどのスポーツが人々の間でますます浸透化して、新しいライフスタイルには自動車が欠かせなくなりました。アイビー・リーグの学生がヤングファッションをリードし、スーツにスポーティーな要素が大量に取り入れられました。19世紀から引き継がれてきた重圧感覚は拒否され、生地もシルエットも軽快なものへと変化していきました。男性のワードローブが、スーツを基本としてどんどん充実していったのです。

◆1930年代/イングリッシュ・ドレープ・スーツが大流行

30年代は、大恐慌から始まりました。ふたつの大戦の谷間にあったこの時代、既製服が本格的に一般化して2パンツスーツが開発されました。そんな中、ドレープ・モデルはセヴィル・ローから始まります。それまでのリッチなファッションではなく、実用的な優雅さが尊重されるようになったのです。肩幅が極端に広く、胸にはたっぷりとしたドレープ(ゆとり)があって、ウエストを絞ったX字ライン、スラックスは2タックで股上の深いものでした。この形は、ハリウッド・ルックのもとにもなりました。



ダンヒルの歴史

ダンヒルは、イギリスの代表的な老舗ブランドです。輸出実績が評価されて、イギリス王室から表彰を受けたこともあるほど、最高級素材としての地位を確立しています。

ダンヒルとは

ダンヒルはタバコや葉巻をはじめ、メンズブランドとしての製品を主に展開しているブランドです。中でもスーツにおいては、そのハイクオリティーと由緒ある歴史に裏づけされたブランドイメージを背景として、イギリスを中心としたヨーロッパ各国のビジネスマンのステイタスとして人気を博しています。

◆ダンヒルの経緯

1893年のロンドンにて、アルフレッド・ダンヒルが21歳の時に、父親の働く馬具専門用品メーカーの経営を引き継いだのが始まりでした。彼は衣類や小物などの製造も手掛けるようになり、事業拡大をして社名を「ダンヒル」に変更しました。20世紀に入って生活様式が変化し、移動手段が馬から自動車へ取って代わると、彼は自動車に関連づけられるイメージの商品を「車以外のすべてが揃う」といわれるほどの豊富な品揃えで展開するようになります。
現在では紳士服を中心としてスーツやネクタイ、香水、ベルトをはじめとした革製品など、ファッション関連製品を網羅するトップファッションブランドとしての地位を確立しています。また、タバコや葉巻のブランドも展開しており、ライターやパイプなどのタバコ用小物やバック、時計などのジャンルでも積極的に展開しています。女性向けの商品も制作していますが、基本的には男性向けの製品が主です。
ダンヒルの商品性をひとことで表わす「モートリティーズ」は、Motoring(ドライブ)、Authorities(権威・威信)を合わせた造語で、これは多くの商品項目のネーミングや開発精神に対して強い影響を与えています。
2006年ドイツで開催されたサッカーワールドカップで、ダンヒルのスーツが日本代表オフィシャルスーツとなりました。



エルメネジルド・ゼニアの歴史

ゼニアはイタリアを代表する格調高いブランドです。ゼニアの、商品に対する徹底したこだわりは、多くの著名人や実業家などから支持され続けています。

エルメネジルド・ゼニアとは

ゼニアは、2010年に創業100年を迎えたイタリアを代表する老舗服地ブランド。1910年に初代エルメネジルド・ゼニアがイギリスから最新の織機と技術を導入するとともに、北イタリア国境近くにある「トリヴェロ」という町で小さなテキスタイルメーカーとして創業したのが始まりでした。

◆エルメネジルド・ゼニアの経緯

初代エルメネジルド・ゼニアから20歳で家業を受け継いだのが、グループの創業者であるエルメネジルド・ゼニアです。彼は職業繊維学校で知識を蓄え、イギリスから最新の織り機と技術を導入して高品質毛織物の生産を始めました。
ゼニアの経営理念は、とにかく品質にこだわり抜き、商品の最高水準を保つために努力をしつつ、革新を忘れないところにあるといえます。
こうしたこだわりが商品に反映され、世間からの厚い信頼と評価を得ることとなり、ファッションの国イタリアの中でも代表的なテキスタイルメーカーとなったのです。
そして1968年には、「最高の素材は優れたデザインを、最高のデザインは優れた素材を求める」というゼニアのデザインポリシーのもと、プレタポルテ(高級既製服)にも進出。世界有数のメンズラグジュアリーブランドとしてゼニアの名を不動のものとし、ゼニアが企業の使命として挙げている「最上のメンズワードローブとアクセサリーを作ること」は服地業界やファッション業界に衝撃を与えました。
また、ゼニアは業界で初めて服地の耳にブランドネームを織り込んで、品質を保証したことでも知られています。原毛の買い付けから、紡績、染色加工や製品化まで、全ての行程をトリヴェロの工場で一貫しての自社生産が行われています。



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